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幸せを求める人は幸せになれない

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先日Twitterでこんなツイートをしました。
 

2016年2月14日13時現在で
【リツイート25】
【いいね!75】
ものリアクションをいただき、
写真とかをツイートしたらこれくらいいくこともたまにあるけど、
文字だけでここまでリアクションを頂いたことがなかったので
 
「これはなんか起きてるんじゃね?」
 
と思い、自分なりに「幸せ」についていろいろ考えてみました。
 
 
 
 
 
 
1.  成功や幸せは結果には宿らない
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よく
「お金が〇〇だけあったら幸せだろうな〜」
「□□ができたら幸せなんだろうな〜」
 
ということを耳にしますが、
僕はそうは思いません。
 
 
 
成功や幸せは、何かを成し遂げた先にあるというより、
達成しようと模索したり挑戦したりしているプロセスの中にあるのではないかと思います。
 
 
結果を出すことで得られるのは達成感や報酬•見返りであり、それ自身に幸福は宿りません。
 
成功や幸せとは、到達すべき目的地ではなく
前進し続けるプロセスなのです。
 
 
 
 
 
結婚をしていない女性が、幸せそうな家庭•夫婦を見て
「結婚って幸せそうだな〜」
と言ったりしますが、その人は結婚を目的として捉えがちで、そういう方の場合、結婚してもうまくいかない可能性が高いです。
 
 
なぜなら、結婚自体が幸せなのではなく
幸せになろうと共に助け合っているプロセスが幸せだから幸せなのです。
結婚が手段だということを履き違えてはいけません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2.  人間の欲には限界がない
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毎月の給料が20万の人は
頑張って30万にしたいと思います。
 
しかしその人が頑張って給料が30万になったとしたら、今度は50万が欲しくなります。
 
今度、50万稼げるようになったら100万が欲しくなります。
 
というように、人間は欲に関して(特にお金は)
限界なく膨れ上がっていきます。
 
 
これを経済学用語では限界効用逓増の法則なんて言ったりします。
 
 
 
要は、幸せの対象をモノに求めたって
限界がないし意味がないんです。
 
 
 
僕は最近よく、
 
こんな恵まれた国に生まれて
死の危険にさらされることもなく
健康で
安くて美味しいものもいっぱい食べられて
清潔な服を着られて
遊べる時に遊べて
会いたい人に会えて
自然にも触れられて
好きな人もいて
人からも好かれていて
 
こんな幸せなことに満ち溢れているのに
 
 
これ以上を求めるなんてバチがあたるわ
ということをよく思います。
 
 
 
 
 
 
自分が社会的な“人”
 
としてではなく
 
生き物としての“ヒト”なんだ
 
と思えたその瞬間から
 
 
「幸せだ」と思える基準に、
自分の感情が達しやすくなり
些細なことでも幸せに感じるようになりました。
 
 
 
 
 
 
 
俺が幸せだって感じるんだから、
俺いま幸せじゃん。
 
何を考えてようが感じてようが関係なく
今も地球は回ってるし。
 
俺は俺なんだし。
 
 
 
ってね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3.  1つのパンで感じる幸せ
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先ほどの「幸せを求めすぎている」
という話に関連して、
 
僕が大好きな武井壮さんが
以前ラジオで話していてすごくいいなと思った話がありました。
 
 
 
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大学時代、陸上10種競技をやっていた武井さん。
 
海外で行われた学生の世界チャンピオンを決める大会に出場し、見事その大会で優勝し、10種競技の学生世界チャンピオンになりました。
 
 
大会後、出場した選手が参加するパーティで
チャンピオンの武井さんに一声もらうためにマイクが渡されたそうです。
 
そこで武井さんは
 
「いやー、正直いつも日本で食べてるような食事が取れず、固くてパサパサしたパンを食べていたのでコンディションを合わせるのが難しかったのですが、まぁなんとか優勝できたのでよかったです!
ありがとうございました!」
 
と、軽くユーモアもまじえながらチャンピオンとしての挨拶を済ませました。
 
武井さんが挨拶を終えて少しすると、
同じ種目で入賞を果たした外国人選手が武井さんの元へ歩み寄ってきました。
 
「ソウ、今日はチャンピオンおめでとう。
心から祝福するよ。
 
だが、君はチャンピオンになり、競技力こそすごいが、人間としての強さはよっぽど僕の方が強いね。
 
僕の国はいま戦争状態で争いが耐えないんだ。充分に食べるものもないし、国全体に明るさもない。
けど、そんな時でも、俺がテレビを通して国民に活躍してる姿を見せると、皆銃を置くんだ。
 
それに俺の妹は、どんだけまずいパンを持っていっても
『お兄ちゃんありがとう!!』って、満面の笑みを浮かべながらパンを食べるんだ。
妹は、俺が活躍してるところを見て、生きていくだけのパンがあれば幸せなんだ。
 
幸せを感じづらくなっている君なんかより、そんな小さなことで幸せを感じられる妹や、そういうもののために戦っている僕の方がよっぽど強いね
 
という話を武井さんにしたあと、彼はその場を去っていきました。
 
 
 
 
 
 
これを聞いて武井さんは
 
恥ずかしさやら
情けなさなら
自分の傲慢さやら
配慮のない言葉の申し訳なさやら
 
自暴自棄になるほど心に突き刺さり、しばらく男泣きしていたそうです。
 
 
 
 
 
みんな多くを求めすぎなんです。
 
僕はこの話で“普通•あたりまえの尊さ”を考えさせられました。
 
ご飯を食べらることも「自分の満足」とかのためで、感謝の気持ちも薄かったなぁと反省しました。
 
 
 
“ありがとう”の反対は“あたりまえ”です。
 
僕はこの気持ちが欠落していたように感じます。
 
あたりまえはあたりまえじゃないんです。
 
 
 
 
 
 
 
4.  まとめ
 
幸せの在り方はもちろん人それぞれです。
 
 
報酬を求める人
 
やりがいを求める人
 
チャレンジを求める人
 
安定を求める人
 
仲間を求める人
 
 
本当に千差万別です。
 
 
 
しかし、どんな幸せの在り方であろうがそれは全く構いませんが、
大きな幸せでしか幸せを感じられなくなったらそれは黄色信号です。
 
 
そうなると、常に結果を出し続けなければ幸せを感じられなくなり、その思考自体が自分を苦しめてしまいます。
 
 
遠くの幸せも見つめるべきですが、
足元の幸せも感じ取ってあげるべきです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最近花を見ましたか?
 
空の青さを見ましたか?
 
雨のありがたみを感じましたか?
 
 
 
視点を変え、視座を下げれば
幸せなんてあまた転がってると思います。
 
 
 
さんまさんの
生きてるだけで丸もうけ
 
ってすごくいい言葉だと思います。
 
 
 
 
遠くを見つめながらも
足元はしっかりと地につけて
幸せを感じられるようになるといいですね。